2016年に発覚した富山市議会の政務活動費の不正受給です。議員報酬の増額を賛成多数で可決したあとに、不正受給が発覚して、議員が14人辞職をしました。
当時、女性議員の少なさや議員の平均年齢の高さにも気づきました。女性や若い世代、働く世代など、今まで届きにくい声があったのではないか、もっと多様な意見を政治の場に届けたい、未来に責任が持てる政治の場をつくりたいと政治家を目指しました。
1番最初の選挙が補欠選挙で準備期間が短かったこと、家事や子育てとの両立や、選挙費用がどれくらいかかるかと不安は沢山ありました。結果的には、準備期間が短い分、短期決戦で多くの方に支えて頂きチャレンジする事ができました。
選挙費用は必要なものを最小限にしたことや、ボランティアの方にご協力頂いて抑えることができました。家事や子育ての両立は選挙期間だけでなく、現在も議員活動の際には夫や両親、友人の協力をもらい乗り越えることができています。
夫も両親も友人も、選挙に出たいのだと言った時、あまりにも急な事でとても驚いていました。子どもが生まれるまで、政治が自分達の生活に関わりあるという実感がなかったので、この時初めて政治家という選択をした事も周りを驚かせた要因だと思います。
家庭の事を心配して反対すると思っていた義父が「あなたのしたい事なら頑張りなさい。」と後押しをしてくれたことは、とても心強かったです。
上野 ほたる
1984年 富山市生まれ
富山高校卒業
夫と子どもの4人家族
前職は介護施設の事務職
2016年
富山市議会議員補欠選挙に当選
2017年
富山市議会議員選挙に当選
地域密着型の法律事務所を弁護士として経営してきました。離婚、相続、不動産、交通事故など地域の方々の法的課題を解決すべく努めてきました。区議になった現在も、規模は縮小しましたが事務所の経営は続けています。
また、開業当初から消防団に入ったり、地域向けの講演を行ったり、地域活動を行ってきました。独立開業する前は、法人営業、フリーター、議員秘書などを経験しました。
元々政治に関心はありましたが、地域の方々の様々なお悩み事を伺う中で、地方行政上の課題に直面することも少なくありませんでした。当時、特別区全体でも弁護士区議は1人しかいないという状況(今も2人しかいません)。地方自治も法律、条例に則って行う必要があります。弁護士として培ってきた法律知識を活かし、地域の課題解決に向けた提案を行っていきたいと思ったのが区議立候補のきっかけです。
弁護士としての知見を活かした提案が、行政に受け入れられることが何度もあり、挑戦して良かったと思っています。
法律や条例があっても、現場の運用が追い付いていない、趣旨が理解されていないという場面は多々あります。そうした際に、法令、通達などを参照しながら運用改善を提案しています。提案が要綱の改正につながったこともありました。苦しんでいる人のために、少しかもしれないけど行政に変化を起こせるというのは極めて意義深いです。
松本 ときひろ
1981年 山口県宇部市出身
一橋大学社会学部卒業
ベンチャー企業にて営業職に従事
早稲田大学大学院法務研究科修了
2011年
弁護士登録
参議院議員政策担当秘書
2014年
武蔵小山法律事務所開業
2019年
品川区議会議員選挙に当選
出馬を決めた時、まず一番最初に不安を感じたことは、『学歴』です。私は中学を卒業し、その後は受験もせずに社会に出てずっと働いていました。
『中卒で大丈夫?』『政治家が中卒でいいの?』等、不安もありましたがそれ以上に「政治家なって大阪をもっと成長させたい!」と思っていたので不安はいつのまにか無くなっていました!笑
選挙に出ることについて、周囲は『街で手をふっていくの?笑』『身内に政治家もおらんのに選挙に出ることは無謀な挑戦やで〜』『今の時代に中卒が選挙に出たら世間の笑い者になるで〜』など、応援の言葉以上に『心配』と言われることがほとんどでしたね。
私の初めての選挙戦は、2019年(27歳)の時でした。最初は無謀な挑戦と言われる事もありましたが、無事に当選させていただきました。政治家になり初めての仕事で地域の長年の課題であった事が解決出来た時に、『長年の課題が解決できて良かった!ホンマにありがとう!』と涙を流しながら感謝されることもありました。
選挙に挑戦して、できない理由を探すのではなく、できる理由を探すようになりました。
中川 セイタ
1991年 大阪市西淀川区生まれ
大阪市議会議員秘書
維新政治塾4期生
防災士・応急手当普及員
元新聞配達員
2019年
大阪府議会議員選挙(西淀川区)に当選
前職は普通の会社員をしていて、元々社会に貢献したい想いが強くありました。
当時の維新の発信力に魅かれて関心を持ち、お手伝いできればと軽い気持ちで維新の事務所を訪問したことがきっかけです。
そこで選挙に挑戦しないかとお誘いいただき、最初は自分にできるのかと戸惑いました。
しかし当時、地元の現職の市議会議員が全員60歳以上であり、とても年齢構成が偏っていたことに引っかかり、当時28歳だった私のような若い世代が挑戦することに意味があると思ったことも、大きなきっかけになりました。
特に有名でもないし、地元に知り合いも多くいない。何よりお金もそんなにないのに、本当に選挙に出られるのか最初は不安でした。
しかし、お金がかからない活動や支持者を1から増やす方法を教えてもらい、「これなら自分でもできるかも」と思い、不安を払しょくできました。
何より、市民の役に立てたことを実感できた時に選挙に挑戦して良かったと感じます。
また、様々な市民のお困りごとや市の政策課題に取組むことで、色んな発見があります。
そういった面で、会社員の時よりは格段に社会に対する視野が拡がり、社会の構造や政治や行政が果たす役割について身を持って痛感でき、自分自身の人生の肥やしにもなっていると思います。
「市民の役に立つ」や「社会に貢献する」といった、中々普通では恥ずかしくて言えないことを堂々と言えて、またそれを仕事にできていることは大きなやりがいとなっています。
天野 こう
1986年 福岡県福岡市生まれ
久留米大学経済学部卒業
土木資材製造会社にて営業職に従事
衆議院議員秘書
2015年
福岡市議会議員選挙(西区)に当選
2019年
福岡市議会議員選挙(西区)に再選
早稲田大学を卒業した後、日本ヒューレット・パッカード(外資系IT企業)に入社して大手企業向けのシステム営業の仕事に就きました。2013年、大学時代からの親友である音喜多駿が都議会議員選挙に挑戦した際に、今の地元でもある北区に引っ越し、会社員として働きながら選対本部長として共に選挙を戦いました。こうした経験を経て政策シンクタンクの青山社中株式会社に転職し、リーダー人材育成や議員の政策立案支援、民間企業のパブリック・アフェアーズ活動支援などに携わりました。
2020年2月に衆議院東京第12区選挙区支部長に就任すると同時に妻と入籍しました。政治活動に専念するため会社は退職。これからの収入等、何の保証もない中での生活には正直不安もありましたが(妻には頭が上がりません)、翌年の1月に長男が誕生し、将来の子どもたちのために、良い日本をつくりたいとより強く感じるようになりました。
約2年間、お店や駅、お宅の軒先など、直接1万人くらい会話して、ご意見を頂戴しました。新型コロナ対策も、経済も、教育も、介護も、このままでいいと思っている人はほぼいませんでした。選挙への挑戦は通過点でしかありませんが、人生を賭けて、この国の未来のために政治を変えるべきだと訴え、それに呼応してくれた人たちが大勢いたことは大きな喜びでしたし、仲間たちと戦った日々はかけがえのない財産になりました。何もなかった私に期待をかけてくれた方々には感謝しかありません。初心を忘れずに、日々全力を尽くしていきたいと思います。
阿部 司
1982年 東京都大田区出身
早稲田大学商学部卒業
外資系IT企業にて営業職に従事
政策シンクタンクにて政策コンサルティング等に携わる
2021年
衆議院議員総選挙に比例復活当選
福岡県の情報番組で報道テレビリポーターをしていました。災害現場や、危ない通学路や、コロナ禍で困っている人々など様々な現場で社会問題を取材してきましたが、放送を繰り返す中で「メディアは問題提起をしているが問題解決はしていない」と感じるようになり、「自分の手で街を変えたい!」という一心で選挙に出る事を決めました。僕に優れた能力があるわけではないのですが、地元を良くしたいと考えたときに市議会議員になることが僕にとって最善の選択だと思ったのがきっかけです。
不安は数え切れない程ありました。選挙資金は足りるのか?支援団体は無くて大丈夫なのか?当選できるのか?落選したらどうしよう?など。維新の先輩議員に効果的な活動内容や活動する場所・時間など戦略的な指導があり、活動内容を絞ることができました。同じ議会の議員では選挙費用に500万円〜1000万円程度使う選挙区なのですが、お金がかかる無駄な活動を省き、貯金150万円を使用しました。、管理が必要な組織は作らず、選挙は親族と友人10人で戦いました。選挙であれもこれもやろうとすると、お金がいくらあっても足りません。自分の強い想いを有権者に伝えていくシンプルな活動を繰り返す事が1番大切だと感じています。活動を繰り返していくうちに不安は徐々に消えていきました。
「若いんだから政治はやめとけ」と仕事場の先輩方に止められました。「若いんだから」という言葉が強く印象に残り「若いんだから政治をやるべき」と周囲のアドバイスを良い方に解釈し、34歳で選挙に出馬することを決めました。しがらみの無い政治を進める日本維新の会から出馬する気持ちを決め、選挙の10ヶ月前に申請書類を送りました。政治活動をすると価値観の違いで友人関係に多少変化がありますが、応援してくれる方も多く現れます。改革を進めるために必要な変化だと思います。政治家になった今思うのは「若いからできる改革がある」ということです。
しのはら けんじ
1986年 福岡県北九州市出身
久留米大学経済学部卒業
テレビリポーターとして災害中継・社会問題などを担当
中小企業庁福岡県よろず支援拠点 経営コンサルタントコーディネーター
2021年
北九州市議会議員選挙に当選
「新しい朝が来た 希望の朝だ…それ、1.2.3」ラジオから聞こえてくる歌声。目をこすりながら行ったラジオ体操。その指導者を2001~2015年までの15年間担当していました。この間、ラジオやテレビ収録とともに公開番組やイベントなど全国250会場以上に出向き老若男女を問わず約50万人以上の方々と一緒に体を動かしてきました。
「政治家だけには成るな!政治家は机の上で握手をして、机の下で蹴り合いをしている。そんな世界だ!」と35年前に恩師から言われていました。その恩師が亡くなり、時代も変わっていく中、全国の現場で感じていたことは、「何故、年々医療費が増加するのか?何故、予防対策にもっと取り組まないのか?健康保険制度のあり方を見直し、医療にかからない健康な人には何故、還付制度がないのか?」などの疑問でした。昭和40年と令和元年の国民医療費を比較すると約1兆1千億から約44兆3千億にまた、国民所得比率を比較すると4.18%から11.06%となっています。さらに、平均寿命は、50年前に比べ約15年延びています。人生100年時代を迎える日本において健康政策に取り組む改革が必要ではないかと感じたからです。
「地盤・看板・カバン」と言われているのは承知していましたが、SNSを使った空中戦やPR戦略とともに日本維新の会のサポート体制が素晴らしく選挙戦に臨めました。一人では何もできないのが選挙ですが、“初志貫徹”『覚悟』を決めた瞬間、不安は無くなりました。
西川 よしかつ
1965年 兵庫県姫路市出身
我孫子市在住22年
日本体育大学卒業
筑波大学大学院修了
2001年~2015年
第17代NHKテレビ・ラジオ体操指導者
2019年
我孫子市議会議員選挙に当選
今もですが「主婦」です。選挙区でヤクルトレディーもしていました。「政治家」とは無縁の世界で飛び込む事に不安はありましたが今では強みです。市民目線の感覚をいつまでも大切にしていきたいと思います。
暮らしが変わったのがきっかけです。長女が年長のときに維新の改革で幼児教育の無償化がスタートし家計の負担が減った事で、政治家次第で暮らしが変わるんだと実感しました。もっと支援を届ける事で、みんなが楽しく笑顔で子育てができる、母親は安心して子どもを産み、保護者は心に余裕を持って育てられる環境を作りたいと思いました。そうする事で、1人でも多くの子どもの笑顔に繋がると考えます。自身が子どもの頃に経験した大阪市での暮らしや、子育て中の当事者目線から届ける声、そして自分が前に出る事で子育て世帯の政治への関心を高められたらという想いで挑戦しました。
正直不安だらけでした。当時は8歳、5歳、3歳の娘たちでしたが、子どもの心が何よりも心配でした。寂しい思いをさせてしまわないか、保育時間外の預け先、政治家の子どもという事で嫌な思いをしないか…など、不安は尽きず。腹をくくってから不安は消えました。何があっても自分が守るという気持ちと、それ以上に、自身の子ども含め、今を生きる子どもたちが愛情・教育を受けられる環境、そして安心して子どもを産み育てられる環境を作っておきたかったからです。懸命に活動していると支援者も増え、不安も拭えました。支えてもらい、感謝です。
野上 らん
1982年 大阪府大阪市出身
3児の母
日本ナレーション演技研究所出身
維新政治塾4期生
2019年
大阪市議会議員選挙(中央区)に当選
東日本大震災の後、私が関わる「食」の現場は放射性物質という言葉に混乱しました。特に野菜を作る畑への風評被害は経済的損失だけでなく、私や従業員の心にも大きな傷を残しました。あの時の政治が一体何をしていたのか、知りたいと考え参議院議員秘書となり政治の現場を知り、大きな危機感を持ち政治家を志しました。
今までに3回の出馬をしましたが、毎回毎回全く違う意識を持ちました。初めての出馬は大阪都構想の結果を受けて橋下徹さんが政治家を引退されると言うことに大きな喪失感と、自民党・民主党だけでは何も変わらないという危機感から焦り、気持ちだけで一気に行ってしまいました。2回目は冷静でした。3年間あった落選期間中に埼玉県内での地方議員の仲間の発掘や県組織の強化など目指す活動を粛々と続けてきたことがどのような結果に繋がるのか楽しみという視点もありました。3回目は初めての衆議院という事もあり、今までの全てをかけてただガムシャラに動きました。どんな時も、漠然とした不安にならないよう、事前に自分の抱えられるリスクを整理して動いてきましたが、不安になったことはありません。なぜなら、未来に大きな希望を持っているからです。
政治は変えることができると確信できた事。2016年、2019年の二度の落選で現実を知り、活動すればするほど政治への偏見、常識そして無関心という壁に絶望を感じることもありましたが、それでも動けば動くほど周りの声は少しずつ大きくなりました。2015年から政治への学びを始め当選までに7年かかりましたが、選挙に有利と言われる地盤・看板・かばんの全てが無い自分でも諦めない信念を持ち、常に考え、行動し続けた結果は少しずつ体感できるまでになってきています。
沢田 良
1979年 東京都出身
さいたま市南区在住
2002年
日本大学芸術学部放送学科卒業
飲食事業経営
維新政治塾3期生
参議院議員秘書
2021年
衆議院議員総選挙に比例復活当選