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31歳、普通の主婦だった私がまさか市議会議員になるなんて。

2021/9/29

維新女性局コラムをご覧の皆さま。はじめまして!
宝塚歌劇で有名な兵庫県宝塚市で市議会議員のお役をいただいている村松あんなと申します。
女性局コラムのバトンが私にも回って参りまして、何を書かせていただこうかと迷っておりましたが、多くの女性議員さんもコラムにて書かれている議員を志したきっかけを私も書かせていただこうと思います。
実際に、はじめましての方からいただくご質問で一番多いのは、「あなたはどうして市議会議員になったの?」です。

議員をさせていだだく以前の私は、大阪府で教員(保健室の先生)をしておりました。教員になりたいと思ったのは単純に子どもが好きだから、学校が好きだったからというものでした。
その後、結婚をして、主人が住んでいた宝塚市に居を移したのですが、兼ねてからわずらっていた関節リウマチが悪化し、走ったり、しゃがんだり、強く物をつかんだりという動作がしんどくなったので、自宅近くで何かほかに仕事はないかなと転職をします。
せっかくだったら次も子どもに関わる仕事がいいなと考えていた私が見つけた仕事は市役所の家庭児童相談員です。
聞きなれないかもしれませんが、その名の通り、家庭や子どもに関する様々なご相談を受けるお仕事です(ざっくり)。
近年は、児童虐待に関する相談を受けることが多く、子どもや家庭と関係機関をつなぐ橋渡しのような役割を担っています。
日常生活で自然にできたとは思えないアザを作ってくる子どもたち。
学校に通うことが当たり前ではなく中学生でも平仮名の読み書きが十分にできない子どもたち。
こっちを向いてかまってよと言わんばかりに乱暴な行動を取る子どもたち。
保護者も苦しんでいました。
子どもを殺してしまいそう、抑えようとしても怒りを抑えられない、もうどうしたらいいかわからない、泣きながらSOSを出すお母さんの声を受け止めたこともありました。
様々なケースを担当させていただき、市役所が閉まる土日には、子どもたちやお母さん方は週末が明けて無事だろうかと心配になることもしばしばありました。

そんなとき、勤務していた市役所内で組織改編があり、市役所本庁にあった家庭児童相談室の業務ですが、市内を南北二つに分けた出先機関で担うことが決まりました。 市民の利便性を考えて、身近な場所で相談業務を受け付けるということでした。
なるほど、確かに市境に住んでいる人にはその方が便利だねなどと思っておったのですが、その後、私を奮起させる展開が待っています。

市役所本庁に一つあった相談機関が、南北二つに分かれ、その後一年余りで再び一つにというのです。
しかもその最終地は、他市との市境です。
私の頭のなかではハテナ?でいっぱいでした。
何のために短期間で何度も引っ越しを繰り返すの?
しかも、引っ越しを繰り返すたびに業務で使用するシステムは税金を投じて入れかえ、電話番号も替わります。
利便性が低下することは必至、利用する市民が混乱することは目に見えています。
何度も引っ越しを繰り返している間に、対応が零れ落ちるケースが出てくるのではないか。
組織の判断に私は驚きとともに失望しました。
行政は、子どもの命に係わる窓口であるのに市民目線に立っていないことを平気でするのだなと。
しかし、現場からどれだけ声をあげても私には何も変える力はありませんでしたし、いち下っ端職員の声はどこにも届きません。
おかしいよって分かっているのに。

自分自身の苦い経験から、こんなおかしいことが気か付かないだけで、役所の中にはたくさんあるのかも、私の住んでいる市ではどうなのだろうと考え始めました。
せめて、自分が死ぬまで暮らす市では、おかしいことをおかしいまま放置してほしくない。
何かを変えるときや新しいことを始めるときは、役所で働く人の都合ではなくて、利用する市民の利便性を一番に考えてほしい。

「声が届かないなら、声が届く立場になるしかない!」

そう決意したことが、全ての始まりです。
その後、私の声に共鳴してくださった方たちや、家族の支えがあって宝塚市議会議員選挙に出馬。
子ども好きの普通の主婦だった私は、今、市議会議員として仕事をさせていただいています。
走り出して三年目。
あのとき感じた「おかしいのに、変えられないって悔しい」を忘れず走り続けたいと思います。

つたない私のコラムを最後までお読みいただき、ありがとうございます。
議員を目指そうとお考えになっているあなたの背中を押すきっかけの一つになれば、望外の喜びです。

作成者:宝塚市議会議員
村松 杏奈 議員

村松 杏奈 議員